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もうひとつの土曜日

<div>浜田省吾のもうひとつの土曜日を聴くと昔福岡刑務所にてカラオケで歌ったのを覚えている。初めて仮尺を貰った所でもある私は洋裁工場にて一生懸命ミシンを踏んでいた仮の班長的存在でもあった出所前は仮1級にもなった。初めての仮釈放で朝親父(担当)が中村!と何時呼びに来るかドキドキの毎日でもあった。比較的私は親父に好かれる性格なのかよく面倒を見てもらった様な気がする1度目の工場では雰囲気が悪かったので自分から上がったが懲罰で面罰を初めて貰ったのには私自身驚いたが2度目の工場では担当が厳しく懲役事態しまっていたので雰囲気的には過ごしやすかった。今の親父が変わったときどんな親父が来るのか?と悩んでいた時1度目の私が好きだった親父が担任に成って来たので私自身嬉しかった半面どうゆう風にこの工場が変わるか心配でもあった1度目の時に面倒を見てもらった時より煩かったのは事実である。
私の刑罰は覚せい剤で1年8か月の実刑であったが東京拘置所で控訴をしたところある程度主張が通ったので大分未決通算が貰えた。そして刑務所待ちしていた時私の行く刑務所行が決まった。行先は分からない朝早く起こされて確か4時30分頃だったろうか3人連れていかれた偉い担当の前で君たち3名を福岡刑務所に押送すると告知された。私は一瞬ドキッと胸の鼓動が鳴った!羽田空港までバスで1時間位揺られて着いた羽田から飛行機で2時間30分位で着いた。九州地方の所謂仁義なき戦いにでも出てくる方言でちょっと苦労はしたが人間的には悪い懲役は居なかったように感じたが私は喧嘩はしなかったが他の懲役は良く喧嘩いていたように覚えている。そんな中で私はこの刑務所は私的にあっていた独居で1人で過ごすようになったので対人関係には苦労しなかった運動の日の講道館での日にカラオケが歌えるのである私は余りみんなの手前恥ずかしいのでカラオケには他の刑務所では歌わなかったが福岡では人間的に仲良かったので浜田省吾の(もうひとつの土曜日)を歌ったのを今このBLOGを書いている時丁度掛かっていたのでKEYBORDを叩いたがこんな個人的プライバシ-を暴露することは自分的に良いものか?と感じたが私のすべてを知ってもらっても今の世の中関係ないと自身で感じたのでこうして記しているのである。ある程度自身の恥とでも言うのか?皆に知って貰う為すべての事をなに隠さず記載するようにしているのである。もうひとつの土曜日この曲を聴くと何故か福岡刑務所での色々辛かったこと楽しかったこと等が脳裏に浮かぶ今はtokyobowyのBLOG名でこうして私の生きて来た体験などを記載しているのが嘘の様に感じる。浜田省吾私的にはジャンルが違うが(もうひとつの土曜日)が掛かると何故か目が冴えてしまう。......了 tokyobowy (中村昭次) <div>